善福寺

大森山 善福寺 由緒

筏場神社の南に善福寺があります。本堂は明治24年(1891)の濃尾地震で倒壊し、その後再建されていますので、築100年は経っています。古寺の風格ある寄棟屋根の本堂です。善福寺の屋根はゆるやかに反っています。屋根の反りの曲線を「縄だるみ曲線」といい、なぜ屋根上部ほど急勾配の曲線になっている理由は、振った雨水を速く流れ落とすためです。大きな屋根ほど降る雨水の量も多くなるので、屋根の反り構造が必要なのです。寄棟屋根は四方に勾配を持っていますので、これも雨の流れがよい構造です。

大森山善福寺(ぜんぷくじ)は浄土真宗の単立寺院です。善福寺の開創は富安郷(とみやすごう)古木江村(こきえむら)で、開基は正誓(しょうせい)です。旧記類は焼失したため不詳です。愛西市森川町小消前の東に、小字「寺西」があります。この地に善福寺があったと考えられます。

本尊阿弥陀如来の裏書に「興正寺門徒興善寺下尾州海西郡富安圧古木江村惣道場也願主正誓文禄二年九月三日木仏免状添下間治部卿法橋頼亮」と記されていることから、文禄2年(1593)に、正誓の善福寺は古木江村にあったことが分かります。古木江から津島筏場に移転した年代については『寛文村々覚書』に善福寺が記されていますので、寛文期(1661〜1673)には移転していました。

江戸時代には津島三十六坊と称された寺院です。