善福寺

大森山 善福寺 由緒

善福寺の開祖は 陸奥国の住人 鈴木右京之亮穂積重政かり

闇祖重政は吉野朝の時代 後醍瑚天皇の皇子 宗良親王が信州にて

挙兵された時  重政は一族一党を連れて参戦するも

応永三十一年八月十五日の 信濃大河原の戦いで 皇子の矛良親王ば自害す

永享七年十ニ月一日 御子の良王の公は 信濃浪合の戦いにて敗れ

三河半田乙川を経て 当時南朝と 関係があつた 津島の豪族

十一党の人々により 良王の公を奴野城に迎えて良王の公を守護し奉る

重政五十一歳なり その後 永享十一年正月

仏門に志し一族一実子十三人養子ニ十三人を従え

津島より海西郡富吉之庄 古木江村に移住し

真言宗の道場を建立し 開祖となる 開祖重政五十六歳なり

嘉吉三年正月五十九歳の時 弟の重長に道場を譲って

一族一党を従え 知多郡の乙川に移住し

その後 知多郡乙川を旅立ち 生死不明なり

 

当山第七代正誓 住職は本願寺第十一代 顕如上人の時

永禄ニ年九月三日 本願寺のお許しを受け 本願寺の直末となり

寺号を 大森山善福寺と 改称されました

 

元亀元年十ニ月三日天正元年の 長島の合戦で 古木江城は落城

善福寺も戦火にて焼け落ちる

七代住職 正誓は 長子正尊 御同行と共に戦火を逃れ

御本尊様と共に 海東郡 門向之庄津島村 筏場に難を逃れ移住す

 

当地は開祖 良王の公を 奴野城に居住奉仕奉った 御縁のある地に

三年の年月をかけ 善福寺を 建立され

天正六年四月十七日十八日 十九日 の御満座法要が 厳修されました

善福寺は本願寺の 直末の流れをくみ

初一念のご念仏の 道場として 世代に伝承す

善福寺は 開祖重政より六世正順まで古木江村の寺を守りました

七世正誓は 善福寺中興の祖であります

在に到る現住職はニニ世 香潮 二三世 香真